水の惑星〔0〕

こちらも、ドラゴンライダー・ロカとおなじく、某RPGの続編用にいろいろと考えて定着していた、トライアルもののひとつです。
ロカよりもかなり後期に考えていたもので、ちょっとテイストは違います。
小説用にリファインして別企画として進行させようとしていたので、ちょっとだけ完成稿に近づいています。まあ、試し書きですけど。
内容的には、まさかアレの続編が、ここからはじまるとは思わんだろう、というネタからはじまっています。
まあ、お蔵だしということで……。


【水の惑星・プロローグ】

 広大な砂の大地を、一台のサンドバギーが疾走してゆく。
 バギーは、そこここに露呈した岩になんども乗りあげ、はげしくバウンドしつつも、そのスピードをおとそうとはしない。
 六輪の低圧タイヤが盛大にまきあげた砂が、ゆっくりと物理法則通りの放物線をえがきながら落下していく。
 そこに一切の音は存在しない。
 完全な静寂の中、無人の荒野をどこまでも突き進んでいくバギー。その轍の跡は、はるか地平線の彼方へとつづいている。
 そして、バギーの進行方向には、おなじような荒野がひろがり、地平線には険しい山々が連なっている。
 エンジンブロックの前方、車体の上に細いパイプを組み合わせてつくられたむき出しのドライバーシートには、白いハードシェルタイプの宇宙服に身をつつんだ人間が座っている。
 だが、その宇宙服のシルエットは、異様に小さい。シートの前方に腰かけ、ようやくなんとかハンドルに手がとどくぐらいの背丈でしかない。
 小柄な彼、または彼女は、はげしく上下動する車体をなんとかまっすぐ走らせようとハンドルにしがみつきながら、じっと前方斜め上に頭をむけている。
 ヘルメットの金色にかがやく遮光バイザーには、漆黒にうかぶ宝玉のような青い星が映りこんでいる。
 前方の山脈の上、ひろがる闇に孤独にかがやく青くうつくしい水の星。それは、すべての命の源である地球の姿であった。
 サンドバギーは、走り続ければいつか青き地球へとたどり着けると信じているかのように、まっすぐ進んでいく。
 あるいは、本当にそのつもりなのかもしれない。
 月と地球の間にひろがる三八万キロの虚空など、バギーをあやつるものの脳裏にはない。
 それは、虹のたもとを追い求める子供の夢想に似ていた。
 と、ふいに岩に乗り上げたサンドバギーが、大きく跳ねあがった。バランスをくずした車体が空中で横転する。その衝撃に、シートから投げだされたドライバーが、地球の六分の一の重力下、まるで飛翔するかのように宙をとんでいく。
 空中で、ヘルメットの遮光バイザーが弾けとび、まだ幼さののこる少年の顔があらわになった。
 少年は、漆黒の空にうかぶ地球にむかって両手をのばす。
 必死に。
 だが、青い星はすぐに暗い影へと消える。
 宙をとぶ少年の体は、クレーターの淵をこえ、その中へと落下していく。
 クレーターの斜面を転がりおちる白い宇宙服は、バウンドしつつすり鉢状の底にたたきつけられる。
 宇宙服を着た少年は、うつぶせに横たわったまま動こうとはしない。
 だが、宇宙服自体に深刻な損傷はみとめられない。腕につけられたパネルの生体モニターにも、身体の異常は表示されてはいない。
 低重力とハードシェル構造の宇宙服の性能が、少年の命を救ったのだ。
 それでも、彼は動こうとはしない。
 そのまま、時間が経過していく。
 やがて、宇宙服のグローブがかすかに動くと、砂をにぎりしめた。少年は、その拳を地面にたたきつける。
 何度も、何度も。
 静寂が支配する世界では、だれも聴くことができない。
 その時、少年が発していた慟哭を――。
 横たわった彼の顔にうかぶものを、見ることはできない。
 その時、涙にぬれ、哀しみにゆがんだ表情を――。
 また、時間が経過する。
 やがて少年は、よろめきながら立ちあがり、頭上を振りあおぐ。クレーターの淵が障害となって、青くかがやく地球の姿は見えない。
 ヘルメットの奥、涙も枯れはて、うつろな表情で漆黒の空を見つめるその顔は、よるべない幼子のものであった。
 年は、九歳、あるいは十歳。いずれにせよ、まだ、ほんの子供にすぎない。
 だが、ぽっかりとあいた洞穴のような瞳には、子供らしい生命のかがやきは見えない。それは、なにかを永遠にそこなってしまった人のみが持つ、哀しみすら心の奥底にしずめすべての意志を放棄した瞳である。
 少年は、おずおずと、宇宙服につつまれた腕を頭上へとのばす。
 あるはずのない地球を求めるかのように――。
 その時、突如、クレーター全体が振動をはじめる。
 一瞬ののちに、少年の足許が崩れ、地面が広範囲にわたって陥没する。少年の身体は、大量の土砂とともに、地面の下へと転がりおちていく。
 彼は、暗黒につつまれ、気を失ってしまう。


 どれぐらい時がすぎたのか……。ハッと目をさました少年は、自分が圧倒的な闇につつまれていることに気づく。
 それは、まるで闇が実質的な質量をもって彼を押しつぶそうとしているかのような濃厚さだ。
 ひょっとしたら、自分の身体はクレーターの陥没にまきこまれ、土砂に埋もれているのかもしれない。
 その想像は、少年をパニック状態にさせるに充分なものだった。
 彼は、必死で手足をばたつかせる。
 だが、予想された抵抗感はなく、手足は、宙をかきまわす。
 そこで、ようやく少年は、自分がなんのささえもなく、空中にうかんでいることに気づく。
 だが、クレーターの陥没によって地中にのまれたはずの自分が、なぜ、こんなことになっているのか?
 彼は、ふたたびパニックをおこしそうな自分をおさえ、腕のモニターで宇宙服の酸素残量を確認。続いて、ヘルメットに内蔵されたライトを点灯する。
 ライトの光によって、わずかに闇は後退する。だが、そのむこうには、やはり膨大な闇が居残り、なにも見ることができない。
 少年は、茫漠とした空間に、ただひとりただよっている。
 ……いや。
 そうではない。
 なにかがいる。
 闇のむこうに――。
 ふいに、宇宙服のモニターランプがでたらめに点滅する。
 つぎの瞬間、真空をつらぬいて、あらゆるでたらめな音が少年をおそった。
 彼は、宇宙服のヘルメットをおさえ、身をよじる。
 宇宙服が受信できる全周波数域で、さまざまな音が送信されてきているのだ。そして、彼はその音をカットすることができない。
 脳が焼かれるような苦痛に絶叫して身もだえする少年は、だが、途切れそうになる意識の中で気がつく。
 でたらめだと思った音が、じつは、よく知っているものだということに――。
 そう意識した瞬間、音は、ひとつの声へと集束する。それは……、だれにもきかれていたはずのない彼の慟哭にほかならない。
 ほとばしる少年の哀しみが、闇のそこかしこから、木霊のように彼に返ってきている。
 そしていつしか、少年の慟哭に重なるようにして、もうひとつの音が、いや、歌がきこえる。
 その歌に歌詞はない。少年が知るどのような音楽ともちがう。それでも、その音は、深い哀しみに満ちた歌にまちがいはない。
 歌は、まさに、永遠にそこなわれてしまったものへのレクイエムである。
 少年の頬を涙がつたう。もう枯れ果ててしまったと思っていた涙だ。
 彼にはわかる。それ(※傍点)が、少年の哀しみを完全に理解した、ということ
に――。
 いま、この瞬間、少年とそれ(※傍点)は、完全にひとつの魂を共有する。
 闇のむこうの存在は、レクイエムとともに、なにかの問いをはっする。
 少年は、心の中で、問いかけにこたえる。
 そして、世界は一変する。
 一瞬で闇がしりぞき、少年をつつむ世界は、光でつつまれる。
 その光のはるか下方から、紺青の物体が上昇してくる。全体像が見渡せないほど巨大ななにかだ。
 なめらかな曲面で構成されたその姿に、少年は、海中をすすむ巨大な獣たちを思いおこす。
 少年に恐怖はない。
 あるのは、風穴があいたような心とそこから流れだす哀しみの歌のみ。
 月の地下から出現した物体は、もうひとつの歌をうたいながら上昇してくる。
 巨大な物体が放つ青いかがやきが、少年をつつみこむ。
 そして、少年は、見る。
 青い光の中で物体が、いや、それ(※傍点)が目覚めるのを。
(竜……)
 少年は、目を見開いて見つめる。目の前で長大な首をもたげる伝説の生き物の姿を――。
『さあ、行こう、私とともに……』
 少年の頭の中に、音楽の調べとともに声がひびきわたる
『さあ、行こう、伝説の地へ。時と次元の彼方へ。そこで、君を待つものがいるのだから……』
(……待つ? 僕を? いったい誰が?)
『女神……テ……が……』
 闇が、光が、歌が、声が、あらがう術もない少年をもみくちゃにし、のみこむ。
(僕は……ッ!)
 そして、すべてが光の中にきえていく。
 歌も、哀しみも。
 すべてが――。
 無へ。